【Part2】今福龍太氏:ブラジルサッカー惨敗に見る「世界の危機」

【Part2】今福龍太氏:ブラジルサッカー惨敗に見る「世界の危機」

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マル激トーク・オン・ディマンド 第692回(2014年7月19日)
ゲスト:今福龍太氏(東京外国語大学大学院教授)
司会:神保哲生 宮台真司

 7月13日に閉幕したサッカーのワールドカップ・ブラジル大会は高い身体能力を備えた選手を揃えたドイツが、高度に統制された戦術のもとで全員が精力的に走り回る合理主義サッカーで世界の頂点に立った。しかし、今大会で最も多くの耳目を引いたのは、何と言ってもホスト国で「サッカー王国」の名を欲しいままにしてきたブラジルが、準決勝でドイツに7-1という歴史的なスコアで敗れた「ミネイロンの悲劇」だった。

 4年に一度開催されるW杯では、各国が様々な新戦術を引っさげて登場してくる。古くは74年大会を席巻したオランダの「トータル・フットボール」、82年大会では強固な守備をベースとしたイタリアの「カテナチオ」、最近では前回2010年大会で高度な個人技に裏打ちされたパスサッカーで優勝したスペインの「ティキ・タカ」などが、その後の4年間の世界サッカーを方向付ける戦術として各国に広まっていった。今回ドイツが圧倒的な強さを見せたことで、今後はドイツ的な合理主義サッカー、高度統制サッカーが主流となり、王国ブラジルが誇るラテン的な偶然性と即興性に溢れた美しいサッカーは衰退してしまうとの見方も出始めている。

 今大会の結果について、サッカーの専門家たちの間ではさまざまな意見、さまざまな見方があるだろう。しかし、文化人類学者として長年ブラジルやラテンアメリカを研究してきた東京外国語大学大学院の今福龍太教授は、今大会、ブラジルが大敗しドイツが優勝したことについて、これは単にブラジルサッカーの危機を超えた「サッカーの危機」、ひいては「世界の危機」を反映するできごとだと評する。

 ドイツは徹底したデータの集積、そしてそれに基づいた科学的な分析に基づく統率の取れた戦術によって、他チームを圧倒した。それはサッカーというゲームの意味を度外視し、単純により多く得点するための最適解を求めた結果だった。ドイツはブラジル戦で点差が開いた状況においてもなおブラジルDFのミスにつけ込むなど、とことんまで得点を狙いにいき7得点を挙げた。サッカーは得点を競う競技である以上、少しでも多くの点を取ろうとすることは当然だが、今福氏はドイツや今大会で優勝候補のスペインに大勝するなどして健闘が目立ったオランダのような、手段を選ばずに貧欲に得点を狙いにいくようなプレーはブラジルサッカーではあり得ないことだという。ブラジルでは得点を挙げたチームは、次は相手にスペースを与えながら敵の攻撃を受け流すサッカーに転じて相手の出方を楽しむようなリズムを双方のチームが共有しながら試合が進行していく。そして自分たちの得点以上の美しいゴールが生まれると、今度は自分たちが攻撃に転じて更により美しいゴールを目指すことで、ブラジルのサッカーは発展してきた。ブラジルのサッカーでは単純に多くの点を取ることよりも、想像力溢れるプレーや美しいゴールの方により重きが置かれていると言っても過言ではないほどだと今福氏は言う。

 今回のドイツはサッカーの大きな魅力である「偶然性」や「即興性」「美しさ」のような数字に表れない価値観を排除し、もっぱらより多くの得点を挙げることのためにデータを集積し、研究を重ね、戦術を練り、統率の取れたチームを編成した。その結果、世界を制することに成功はしたが、そのサッカーは魅力に欠け、ブラジルが大事にしてきた「フチボウ」(フットボールのブラジル発音)とは似て非なるものとなってしまった。そして、そのドイツサッカーが世界を制したことで、これからのサッカーがドイツ流の合理性を徹底追求した無味乾燥な点取りゲームになってしまうことを今福氏は強く懸念しているという。

 現代サッカーは高度に科学化、情報化しつつある。試合を観戦しているだけでは分からないが、選手のプレーは逐一モニターされ、どういう動きをしてきたかがデータ化され蓄積されている。選手の走行距離やパスの回数まで自動的にカウントされるICチップを埋め込んだスパイクすら開発されているという。そして監督、コーチ、選手自身の判断ではなく、あくまでもデータに基づいた戦術が組み立てられ、選手交代のタイミングすらデータ分析の結果に基づいて行われるようになりつつある。そこにはもはや人間の感性が有機的に作用しあう「偶然性」などが介在する余地はない。むしろそうした不確定なものを徹底的に排除することこそが、勝利への最適解であるという考え方が主流になりつつある。これをとことん突き詰めていけば、リモコンで指令を受けたサイボーグ同士が戦っているのと、さして変わらないようなものになってしまう。正にサッカーの危機である。

 そして、ドイツの勝利至上主義の背景に、勝利することによって得られる莫大な経済的利益があることは言うまでもない。勝つことで得られるマネーが年々膨張してきたことがより一層サッカーの情報化、データ化を促し、選手の個性は消し去られ、チームは選手を単なる駒のひとつとして戦術にはめ込んでひたすら得点を目指すというスパイラルに陥っていく。実際ブラジルでは若く才能溢れる選手が10代のうちから財力のあるヨーロッパの競合チームにスカウトされ、そこで勝利至上主義的なサッカーに適応することを強いられることが多くなっているために、幼少時から彼らが育んできたブラジル的なサッカーの才能がある段階から伸ばせなくなっている面があると、今福氏は言う。

 今回のワールドカップで顕在化した「合理性」対「偶然性」の価値対立は、実際はサッカーの枠を遙かに超え、今日われわれの社会生活の至るところで衝突している価値対立と共通していると今福氏は言う。その価値の衝突に自覚的にならない限り、われわれは今大会でドイツが見せた「合理主義」を無批判によいものとして受け入れ、その対価としてブラジルのサッカーに見られるような「別の大切なもの」を無自覚に捨て去っている場合が多いのではないか。そしてブラジルサッカーと同様に、その「別の大切なもの」こそが、むしろわれわれが何に代えても守っていかなければならないものの場合が多いのではないか。

 今回ブラジルでは自国でのワールドカップ開催に反対するデモや抗議行動が各地で起きた。サッカー王国ブラジルでのワールドカップ開催に反対運動が起きたことに違和感を覚えた方もいたかもしれない。しかし、今福氏はあのデモはワールドカップがFIFA(国際サッカー連盟)や大手スポンサーにお金で買われてしまったことに抗議するデモだった面が大きいと指摘する。自分たちがこよなく愛するサッカーをカネで売り渡してなるものかというブラジル市民の意思表示だったというのだ。
 しかし、「ミネイロンの悲劇」を受けて、ブラジル国内ではドイツやオランダに倣い、より合理性で科学的なサッカーを目指すべきだという意見が既に出始めているという。今後のことは予断を許さないが、ブラジルでは過去にもそのような論争が何度かあり、最後は自分たちのサッカーを守ろうという結論に落ち着いてきたという。

 効率、スピード、コンビニエンス、収益性といった一見合理的に見える価値を無批判に受け入れるあまり、われわれは自分たちの人生からも、そしてわれわれの社会からも、知らず知らずのうちに偶然性という「別の大切なもの」を消し去ってはいないか。そしてそれは果たして本当に私たちの生活を豊かにすることにつながっているのか。いや、そもそも豊かさとは何なのか。ワールドカップ・ブラジル大会に投影された今日のわれわれの生きにくい世界の縮図を、ゲストの今福龍太氏とともにジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。

【ゲスト・プロフィール】
今福 龍太(いまふく りゅうた)
(東京外国語大学大学院教授・文化人類学者)
1955年東京都生まれ。79年東京大学法学部卒業。87年テキサス大学オースティン校大学院博士課程単位取得。中部大学助教授、札幌大学教授などを経て2005年より現職。メキシコ国立自治大学、カリフォルニア大学サンタクルーズ校、サンパウロ大学などで客員教授を歴任。専門は文化人類学。著書に『ブラジルのホモ・ルーデンス ‐ サッカー批評原論』、『クレオール主義』、『群島―世界論』など。

(本記事はインターネット放送局『ビデオニュース・ドットコム』の番組紹介です。詳しくは当該番組をご覧ください。)

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